NAN GOLDIN
ナン・ゴールディン/1997年制作「25年間、私はアブナイ人たちとつきあってきた。
私は彼らの生死を見届ける」
1996年の秋から翌年にかけてホイットニー美術館で開かれたこの写真家の展覧会は、二つの意味で衝撃だった。ひとつは、被写体とのあいだに「客観性」という名の距離をとることなく、自ら彼/彼女らの生活にどっぷりひたりながら自分の距離を記録する。いわば「全身写真家」であること。もうひとつは、その「日記のような」記録が、20年以上にわたって継続されてきたこと。
このテープは、生々しい作品の数々にゴールディンの語りをかぶせて20年の時間の厚みを伝え、さらにレオ・キャステリ・グラフィックスのマーヴィン・ハイファーマンの回想をはさむ。
IDA APPLEBERG
アイダ・アップルバーグ/1992年制作私はイメージのゴミ拾い。
新聞や雑誌の気になる写真から絵を組み立てていく。」
マンガのように連続する、あるいは縦横にひろがるマルティプル・キャンヴァスに、単純な線によっていかにもさりげなく描かれたその物語的な絵には、日常生活のなかにひそむ狂気や残酷さが顔をのぞかせており、見る者の思考をこの世界のさまざまな病理や不条理にみちびかずにはおかない。
1991年の個展に取材したこのテープでは、アーティスト自身のほか、『ヴィレッジ・ヴォイス』の批評家エリザベス・ヘス、そして画廊主ロナルド・フェルドマンが語る。
COLETTE
コレット/1993年制作「私は、カメレオン。環境に応じてその一部になる。
そしてその環境を、自分でつくりだす。」
自分とアート、アートと日常生活との境界を「演技」によって侵犯しつづけてきた、妖しくも幻視的なこの「カメレオン」アーティストが自らの仕事について語り、さらに批評家/キュレイターのビル・アーニング、オルタナティヴ・スペース「PS1」のディレクター、アランナ・ハイス、そして美術史家/キュレイターのピーター・セルツのコメントによって、多くの面でこんにちのアートの形式を先取りしたコレットの全体像を伝える。